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2007年5月 1日 (火)

山口文憲さん

今日発売の雑誌BRUTUSは「北京特集」で「毛主席がナイキのスウェットシャツを着ている」ポップな表紙です。

北京といえば一年間留学したので思い出が沢山あります。当時の私は生意気な留学生だったです。講義がおわると毎日、ペニンシュラ系や日航系のホテルで飲食したり、翌日の朝食用パンはペニンシュラ系ホテル内のベーカリーショップでバゲットとかクロワッサンやデリカテッセンを買いました。ペニンシュラ系で土日の朝限定でやっている飲茶もルームメートと楽しみ、もちろん新聞は香港の東方日報。となりの日航系ホテルでも毎日施設を利用していましたのでドアマンからフロントのスタッフ、飲料施設でも顔なじみになりました。ちなみに日航の客乗員さんは日航のホテルを利用せず、燕京ホテル(別名XXXXホテル。4文字です。※1)が定宿でした。

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山口文憲さん、お元気ですか?本来、「師匠」とか「先生」と呼ぶべきですが、「ブンケンさんと呼んでくれ」と、おっしゃいましたよね。私が香港で知り合った中国人が文憲さんの友人でした。初めてご一緒にした仕事は「漫画アクション」のインタビュー記事でしたね。当時、香港から映画会社ご一行が秘密で来日しましたが、その中には、まだまだ無名だったミシェル・ヨー(※2)女史がいましたね。その時は若手武術指導にスポットライトをあて、インタビューしましたよね。文章が掲載されたページのとなりは、はらたいら氏の漫画が掲載されてました。その後は「宝島スーパーガイド⑥香港」改訂版をご一緒にさせていただきました(正確には私が9割)がこれが師弟の第一号作品でした。この本の編集者は文憲さんが紹介してくれましたが、なんと私と同じ歳で同じ学校出身(※3)でした!

文憲さんの代役も何回かさせてもらいました。今思うと光栄です。「香港旅の雑学ノート」で有名になられましたが、その後パートⅡの「香港は香港」を週刊文春で連載されましたよね。でもなぜか本になってません。どうしてでしょう?

最近文憲さんの友人である阿川佐和子女史、壇ふみ女史が大活躍されておりますが、文憲さんは「団塊ひとりぼっち」(文春新書)以後、おとなしくなっています。ぜひもう一度大ヒット作が出るのをお祈りします。

知多半島に呉智英先生、関川夏央氏たちと共同生活場を作るという計画がありましたがまだ実行されてませんね。お引越しされた暁にはお伺いしますね。

言い忘れましたが、60歳のお誕生日、おめでとうございます!

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(※1)燕京ホテル・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・落成した当時は「復興ホテル」という名前でした。ピンインの「FUXING HOTEL」の文字を屋上にネオンサインでつけてさあ大変!西洋人ならまんま発音してしまうのです!これはヤバイと思い、すぐ改名しました。

(※2)ミシェル・ヨー・・・・・・・・・・・・・・・・・・まさか香港の若手富豪・ディクソン・プーン氏と結婚するとは思いませんでした。すぐ離婚しましたが。まさか007シリーズに出演するとは思いませんでした。

(※3)同じ学校出身・・・・・・・・・・・・・・・・・・私は中学校はA学園、高校はT学苑出身。彼は中学校がT学苑出身、高校は県立へ。同じ先生に教えてもらいました。

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